三粧の歴史
プロメはその昔、
「おすそわけ」からはじまりました。
明治43年(1910年)、27代続く医家に東山文子(本名 塚田文子)という一人の女性が誕生しました。第二次世界大戦とそれに続く戦後の食料事情の悪さなどから、多くの女性が肌荒れやシミといったお肌の悩みを抱えている中、東山もまた自分自身の顔にできてしまったシミに悩んでいました。
このシミをなんとかできないかと、自らの手で化粧品の開発をはじめました。
くり返し改良を重ね、造り上げる試作品。
これをただ捨てるのはもったいないと、東山は玄関先に「ご自由にお持ちください」と書いて置いておくようにしました。
すると、それを持ち帰って使った近所の方々から、「肌がとてもきれいになった。また欲しい」「どこかで買えるようにしてほしい」とたくさんの要望が寄せられるようになりました。
また「特許を取ったほうが良い」との勧めも。
東山は多くの女性が求めてくださるならと、自身が開発した化粧品を販売することを決意。
これが株式会社三粧誕生の瞬間でした。
肌悩みから解放され、美しさを取り戻してほしいから
無料の美容相談「お顔の病院」をスタート。
当時の「お顔の病院」の様子
東山は創業当時から「お顔の病院」と題して、あちこちへ出向き、お客様のお肌の悩みなどにお答えする場を設けていました。
また当初、東山は自宅とは別にマンションを借り、肌荒れがひどい方には数日間滞在してもらい、肌に良い食事を自ら作って提供しながらプロメをつけて差し上げるといった様々なこともすべて無償でしていました。
それはすべて、お肌の悩みから一人でも多くの女性が解放され、美しさを取り戻してほしいとの願いから。
「プロメ 美容相談」として
今なお続けています
現在も、スタッフによる無料の「プロメ 美容相談」を本社プロメサロンをはじめ、定期的に大阪・名古屋など全国各地で行っております。
また、プロメのご愛用者様やご興味のある方が5名以上集まっていただければ、プロメのスタッフがお伺いする「出張お肌相談」のご依頼もお受けしております。
東山が当時からこだわり続けた「お顔の病院」への熱い想いは、約70年経った今も、このような形で受け継いでおります。「お顔の病院」で東山に出会い、プロメ化粧品を使いはじめたという多くのお客様が、現在もプロメを愛し、支えてくださっています。
こういう思いで
作りました。
プロメ化粧品、発明の想い
肌は生きている。自然な新陳代謝を促せばきっと。
当時、一般の化粧品には基材にパラフィンや鉱物油が使われているために毛穴がふさがれ、肌の自然な生理活動が妨げられていることに着目。
このために化粧をしながら肌の老化を早めてしまうのではないかと考えはじめました。
そして「自然な肌の生理活動を妨げなければ顔も、胸や腕と同じようにいつまでも素肌の美しさが保てるはず」という発想に辿り着きました。
世界に先駆けて、乳化オリーブと水酸化マグネシウムを化粧品に。
自然な肌の生理活動を妨げない化粧品をつくるには、化粧品の土台となる基材から改めなければいけない。」そう考えて研究し、探しぬいたすえ、最も理想的な基材と確信を持ったのがオリーブオイルを乳化させた乳化オリーブ。
これを基材にすることに、世界に先駆けて成功しました。次に挑戦したのが、肌の自然な働きを盛んにする成分の模索。
ちょうどその頃に、西式健康法を提唱する西先生に出会い、西先生の「水酸化マグネシウムは一般に下剤と思われているが、単なる下剤ではなく、腸壁の掃除をして働きをよくすることが出来る。腸壁と顔の皮膚はよく似ているのでこれを化粧品にすると素晴らしいのだが、どうしても乳化が出来ない。」という話を聞き、これを有効成分に使いたいと決意。
そして、誰もが難しいとするなか、ついに水酸化マグネシウムの乳化に成功。さらに日焼けを防ぐ働きのある酸化チタンも加えた化粧品を完成させました。
強い薬品を使わず、自然な生理活動を促して肌の健康を取り戻せば肌の悩みが無理なく除かれるという理論を基に発明しました。肌の健康と化粧の両立をはかり、これまで望めなかった効果を上げるのを目的としています。肌は生涯新しく変わるものでございますから。
医粧へのこだわり
昭和35年(1960年)に薬事法が制定されるまでは医薬品として、多くの女性に愛されてきた株式会社三粧。一般の化粧品や薬用化粧品と区別した「医粧」として商標登録しました。
プロメ化粧品を表現するには、「医粧」しか想いつきませんでした。お薬でもなく、化粧品でもない、肌の健康と化粧を両立させた他にはない化粧品です。
数々の賞も
いただきました。
数々の賞もいただきました。
20年以上にわたり、国産技術の開発に尽力し優れた成果を上げたものに贈られる選考基準において、昭和25年の薬用クリーム(現在のスキンケアクリーム「コーカ」やメーキャップ2号)の発明で見事選ばれた。「勲五等瑞宝章」はただ一人の女性受章者だった。
1978年 東山文子 藍綬褒章受章
1984年 東山文子 勲五等瑞宝章受章
株式会社 三粧の歩み
1945 | 薬用化粧品の研究に着手 |
---|---|
1951 | コロイド状水酸化マグネシウムの乳化に成功。このころより試作品をご近所へおすそわけするようになる。 商品を希望者に販売 |
1952 | 「薬用メーキャップ」の開発、製造、販売 |
1953 | 乳液の製法特許登録認可 第199232号 後に「株式会社 三 粧」となる「株式会社プロメエマルジョン研究所」(代表者 東山文子)設立。 日本婦人発明家協会創立。発起人(東山文子)となる。 化粧水「レモンローション」製造・販売 |
1955 | 石鹸を含まない洗顔料「プロメ 粉末フレッシュ」製造・販売 |
1956 | この頃より、新宿伊勢丹・西武百貨店・京王百貨店で販売。 それぞれで「お顔の病院」と題し東山文子自ら出張指導始まる。 |
1957 | 「株式会社 三 粧」設立1960年「プロメ医粧」の商標登録を得る薬事法が制定 |
1961 | 「薬用メーキャップ」を「医粧メーキャップ」に名称を変え、製造・販売 |
1976 | 三粧社長 東山文子 都知事賞受賞 「プロメ歯磨」開発、製造、販売 |
1977 | 第10回 婦人発明家協会 なるほど展にて「プロメ 歯磨」が特賞 |
1978 | 三粧社長 東山文子 藍綬褒章受章 |
1980 | 「プロメ 髪フレッシュ」を製造・販売 |
1984 | 三粧社長 東山文子 勲五等瑞宝章受章 婦人発明家協会会長就任 |
1987 | 三粧社長 東山文子 逝去 |
1988 | 優良納税者として新宿税務署より表敬を受ける |
1991 | 日焼け止め「プロメ サンゴールド」製造・販売 |
1999 | 優良申告法人として新宿税務署より表敬を受ける |
2015 | 赤ちゃんとママのための新ブランド<パデュウ>発売 |
多くの新聞記事に
紹介していただきました。